2012年9月22日土曜日

タマカイが死んでしまいました。

いきなりなんだ?と思うかもしれませんが。
以前、わずかな間ですが努めていた和歌山県立自然博物館(和自博)で飼育されていたタマカイが死んでしまいました。タマカイとはハタの仲間の魚です(wikipediaのページ)。

タマカイが死んでしまったことは、和自博の学芸員さんのツイートで知りました。別の学芸員さんのブログにも記事がアップされています。(ハゼつれづれ「タマカイが死んでしまいました」)最初は、ん?タマカイ?って感想でしたが、twitterでアップされた写真を見て「あぁ、大水槽にいたアイツだ!」と記憶がよみがえり、ふっと寂しくなりました。和自博では期間雇用だったので、ほんの一年働いただけでしたが、それでも、毎日見ていた大水槽、時折見ることのできたタマカイの勇姿はとても印象に残っています。来館者にとっても、タマカイの姿は心に残る博物館体験だったのではないでしょうか。

和自博では、そういった来館者の心に残る博物館体験が、学芸員さんたちの日常の努力によって支えられていることを目の当たりにすることができました。二日に一度の餌やりの日に魚の出てき方、食べ方を観察するのはもちろん、魚が食べるえさの質を逐一チェックしていました。業者が「いい魚ですよ」というのに対し、学芸員さんが「人が食べるんじゃない」と返し、その理由を熱心に説明されていたこともありました。動物園や水族館のような生の生き物を扱う場所では当たり前かもしれませんが、普段乾きものの植物標本を扱っている自分には新鮮な光景で、よい展示を作る真剣な姿勢を間近で見て、勉強する機会となりました。

生き物なので生き死にはつきものとはいえ、やはりとてもさびしいです。いわんや、毎日毎日、何年も魚たちを見てこられた和自博の学芸員の皆さんにとっては。少し心配していますが、よけいなお世話かもね。

今回の件で、という訳ではないのですが、最近は和歌山にいたことをよく思い出します。和自博の近くに来た夢を見たこともありました。その夢の中では、どんなに歩いても自転車こいでも和自博にはたどり着けませんでしたが。

思い返すと和自博にいた1年間は、入力と出力が同時にできた素晴らしい時間だった、と感じます。入力とはいろいろ勉強したり、研究したり、経験したり、つまり自分に力を充電するイメージ。対して出力は、入力をもとに発表したり、表現したり、伝えたりと、価値を作り出したり伝えたりするような、放電するイメージ。もちろん、その充実した時間は私一人で作り上げたのではなく、和自博の皆さんが公私にわたり支えて下さったおかげです。

それに対してここ数年は、出力超過で出汁ガラみたいになったような感じ、残量ゼロの蓄電池な気分。入力・充電が足りていない。自分の努力が足りないが故のことなのだが、それを「環境のせいでできない」と言い訳していた部分もあると思う。出汁ガラになる焦りや自己嫌悪から変な夢を見たのだろう。そんなに後ろ向きに考える暇があったら、もっと入力と出力を増やそう!自分の中で力の循環を作ろう!と考えて、久々のブログ更新となりました。

えらく回想モードになってしまいましたが、今は、たくさんの人たちの驚きと感動と癒しとなったタマカイに、合掌。