2011年8月31日水曜日

佐賀県立宇宙科学館にいってきた

恐竜展があっていました


恐竜展があっていたので子どもが喜ぶかなーとおもって。すごい人出だった。

感想
やっぱ、お金があるっていいよねぇ。っていきなり下世話だ。
 1階:企画展示室、ワークショップ室、科学体験コーナー
 2階:科学体験コーナー
 3階:宇宙にかんする展示コーナー
最後に危うく回り忘れるところだったが
 地下1階:佐賀の自然

施設が大きく、内装や体験施設も充実している。これだけハードがそろって活動のベースが整っているというのは魅力的。

個人的には、体験コーナーは好きではないが、子どもたちは夢中になっている。ただあそんでいるだけにしか見えないんだが、その中から身の回りのフシギに科学的な視点から疑問を持つ子たちが育つのだろう。

やはり好きなのは、地下1階の自然のコーナー。地下の洞窟のような通路があしつらえてあったり、水槽あり、ジオラマあり、佐賀県の自然の概要が分かりやすく解説してあった。ただ、うっかり順路と逆に回ってしまって、ちょっと理解に苦労したけど、それはこっちの責任。

地域博物館として重要なのは、この自然の分野だよな。と再確認。

博物館における生涯学習

職場に出入りしているボランティアさんに、現在のボランティア活動(主に資料整理)についての意見を聞く機会を得た。

で、いろいろ考えさせられた。認識の隔たりがあったと言うか。

博物館の生涯学習は、専門的で、体系的で、それなりの成果を出せないといけないと思っていた。

でも、参加者はそこにフォーカスしていなかった。基本的に、新しいことを知る、発見することに素直に驚き、自分の視界や世界が広がることに大きな喜びを感じているようだ。

よく考えたら、学ぶ基本はそこ。驚いて楽しむこと。今から学者になる訳じゃないので、堅苦しくある必要もないし、学校の授業や講義のように体系的で枠にはまって、発展的である必然性は何もない訳だ。

いろいろ考え直さなきゃなー

2011年8月30日火曜日

島田美術館「おくゆかし種のせかい」

島田美術館で開催されていた特別展「おくゆかし種のせかい」にいってきた。展示期間終了間際の滑り込みで見てきた。

「おくゆかしき種のせかい」展示風景
白をベースにした会場に、ゆったりと種子が展示してある。植物の種子を題材にしているけど、学問(植物学)からではなく美術からのアプローチと言った展示。天井に貼った半透明の布の上に置かれた種は、頭上から降るように舞い落ちる種をイメージしたものか?壁面にはった糸や針金に間隔を置いて固定された種は、大気中をおよぐシーンの連続写真か?

展示台での展示。ごく小さな紙に植物の名前が書いてあるだけ。 

ひとつの展示台にさまざまな形の種子が並べられていて、この種はどうやって運ばれるのか、こんな固いのがどうやって発芽するのか、いろいろと疑問や想像が膨らむ。

今まで自分がイメージしてきた「説明する展示」とは全然違うアップローチによる構成は勉強になった。

オーズ終わっちゃった

仮面ライダーオーズ、気に入ってたんだが。

話はまあ、巧く終結したと思う。いつぞやのライダーみたいに、最終回で「つづきは映画館で」じゃなかったので、それだけで満足。

もう少し、丁寧にやっても良かったんじゃないかとも思ったんだか。1000回記念やってたせいで時間足りなくなったんじゃ?と勘ぐり。

なかなかいい終わり方でした。

2011年8月26日金曜日

コンデジマスターに向けて・・・

先日のお仕事は、講座の運営(というかその補助)

内容は写真家の先生をお呼びしてのネイチャーフォト講座。
講師の先生は、動物カメラマンの津田堅之介さんです。
ブログ:ボクは動物カメラマン!津田堅之介「撮影日記・裏話」

講座の内容は職場のブログにアップした
http://matsubasemuseum.otemo-yan.net/e522662.html

で、その中で講座参加者が撮影した写真を津田さんが講評する部分があって、スタッフも便乗しました。

で、私の写真はこれ。
アソノコギリソウ。南阿蘇国民休暇村野草園にて。
講評は
「露出がたりない」
露出の調整は前から探してるけどみつからないよ〜、と返事したら
「取扱説明書を読んで、ちゃんとカメラの機能を把握して」
と厳しいお言葉。

で、ネットで検索してみたら出てきた。いや〜取説読んでみるもんだね。
でも、くだんの露出調整だが、menu項目になく、全然別のボタンに割り当てされてる。
なぜ、menu項目に一括しない?よく使うボタンを別にするのは分かるけど、それとは別に設定項目は一括にしておかないと。感覚的に扱えないじゃん。

昔の機械では、機能の調節はそれを司る機構を操作するためその部分にスイッチを置くしかなかったけど、いまはデジタルの時代なんだし、UDなんて騒がれてるんだしさー、ユーザインターフェイスというものをさー、とブチブチブチ・・・言い訳したりして。

ともかく一歩前進したぜ。

津田さんありがとうございました。

こ、これはもしや

以前から採ってみたいと思っていたやつでは?
まん中のちっこい粒が虫
 あっぷするとこんな感じ。
アップ、というよりトリミングしただけ。

こっちは赤いぞ
指先の赤茶色い点が虫
 こちらもアップ!
こちらもトリミングでズームアップもどき。

ワクワク。
あ、家に図鑑ないや。
展翅はどうすんだ?
わたわた。

2011年8月25日木曜日

深度合成写真(多焦点画像)ふたたび

顕微鏡の掃除とデジカメ操作の確認をして再挑戦
深度合成写真、二度目の挑戦


  • 脚が縦になっているところがダメだ。やはりある程度平面に広がってないとクリアにならない。
  • 台紙が邪魔。
ということで、次回は標本を新たに作って、台紙に貼る前に撮影するとしよう。

2011年8月24日水曜日

深度合成写真(多焦点画像)に挑戦

twitter上で深度合成写真(多焦点画像)なるものを知った。
昆虫などをアップで撮ると、焦点深度より昆虫の厚みの方がまさるため、どうしてもどこかがボケた写真になる。そこで、別々の場所にピントを合わせたいくつかの写真を合成して、全体にピントがあった写真を作ってしまおうというのが「深度合成写真」または「多焦点画像」というらしい。

最近アリを集めているので、試してみた。
まず撮影装置は実体顕微鏡andデジカメ。どちらも多少古いがそこまで悪いものではない。職場であまり使われず埋もれていた。
普通に撮影したもの
まあ、心配していた通り汚れがひどい。なんだか顕微鏡の内部にホコリが入っている模様。あと、ミクロメーターが入っているんだけど、どこに入っているのか分かんなかった・・・

それはともかく、写真をみてみるとアリの背中にはピントが合っているが、脚とか触覚とか腹部の先とかがピントが合っていない。これをなんとかしようというお話。

で、参考にしたのは以下のページ。
「Image Jを用いた多焦点画像作製」
http://www.frontier.kyoto-u.ac.jp/rc03/omake/focused.html
京都大学再生医科大学瀬原研究室のページ。

使うのは
Image Jという無償配布されているソフトウェア。研究用の画像解析ソフトと言えばいいのかな。あといくつかのプラグイン。これも無償配布のもの。
Image J
http://rsb.info.nih.gov/ij/

画像間の位置補正プラグイン
Turboreg
http://bigwww.epfl.ch/thevenaz/turboreg/
Stackreg
http://bigwww.epfl.ch/thevenaz/stackreg/

深度合成写真のプラグイン
StackFocuser
http://rsb.info.nih.gov/ij/plugins/stack-focuser.html
Extended Depth of Field
http://bigwww.epfl.ch/demo/edf/

やり方は、瀬原研究室さんのページを見て頂くとして。
結果。合成した後、やはり無償のGimp(日本語のページはこちら)で修正したもの。
深度合成したもの。
出来上がりを見て、

  • ゴミがかぶっている部分は、当然ピントがあった画像が得られないので、出来上がりもピンぼけ。==>顕微鏡の掃除
  • 形が悪い。もっとうまく展翅しないと。==>練習
  • もともとの写真をもっと明るく、鮮明に。==>カメラ操作の確認


体全体の毛や皺にピントが合ってていいですよ!
再トライだね

2011年8月23日火曜日

自己研鑽

職場で、ミュージアムトークというものがある。

来て頂いているボランティアさん向けにいろいろお話しすると言うもの。
あちこちの博物館で行われている、学芸員さんが専門的なお話を噛み砕いてお話しするトークライブみたい。

これがうちでは2週に1回、火曜日に開催されている。
職員が持ち回りで担当していて、一人当たり年2回程度まわってくる。

で、これが苦手。
なんかですね、自分に興味のあることを、淡々と話しちゃうんですよね。
で、今回は学名の話をした。
生物の学名をラテン語辞典で調べてみるとどう訳せるのか、というもの。

いままで私が担当した中では、まあ、乗ってくれたほうなんですが。やっぱりのりが悪いですね。
生き物の名前を挙げてもらって、その場で調べるという形にしたんだけど、なんだか間延びした感じ。


原因を考察
<構成が悪い>
興味がわくような掴み、展開ができていない。もうちょっと考えとこうよ。

<段取り>
辞書の数か少ないのに調べてもらうというのは、ちょっと段取り悪すぎ。扱う学名を厳選して、辞書の一部のコピーで全員が調べられるような形にしたら良かったかも。

<展開の手腕>
いずれにせよ、気の利いたジョークや笑かしは下手なのは分かっているので、自分にあった盛り上げ方を考えたほうがよかったかも。もっと展開について策を練るべき。

今思いつくのはこんな感じ。
まあ、すぐ忘れるのでアップしとこう。

腰が痛い、肩が凝るetc

このところ、何だか体がぎくしゃく

ずーっと前から肩こりはひどかったんだけど、最近首にくるようになった。
首を後ろへ倒すと、首の下のほうの骨がずれてたかのように、ゴキッっとなる。
気持ち悪いけど、ならないのも気持ち悪い。

おととい、子どもを抱いていたら腰がピキッときた。
これで今年二回目・・・高校の時、飛び込みを失敗してぎっくり腰になって以来、2年に一回程度だったのが、いつの間には1年に一回になり、とうとう今年は二回。

う〜ん。筋力の衰えかなぁ。運動不足?単に歳?
姿勢が悪い+パソコン作業が多い、というのも一役買ってるかも。

気をつけよ。


2011年8月21日日曜日

感謝する

先日、大体同じくらいの子どもを持つ親の人たちと飲む機会があった。
夫婦で参加している人も多かった。

その中でちょっと驚いたこと。
ある男性が、妻の前で
「自分はたいがいいい加減だったが、こんなに良い嫁さんをもらえるなんて!!妻には感謝している!!」
と言っていたこと。

こんなことを、人前で & 妻の前でどうどうと言えるなんて、と驚いた。
身近な人や環境への感謝をここまで重大事と考え、人前で表明できる人がいることに、単純に驚いた。

自分の妻に感謝してないなんてことはないけど、そんなおおっぴらに人前で言うことは多分ない。それはいいことか、わるいことか。人前で自分への感謝の気持ちを表してもらえるのはうれしいのだろうな。夫婦間の信頼感も強くなるのかも。でも私が言われた場合、そんなことされると恥ずかしくて「いらんこというな!」と思うだろう。だが、それは私の価値観。みんながそういうわけではなかろう。

あと、気づいたことは、自分が感謝の気持ちをそこまで表にだしていないな、ということ。さらには、表にださない==>軽く考える==>あまり意識しない、と連鎖して、感謝という感情にたいする感受性が落ちているのでは、と思った。

「感謝が運を呼ぶ」みたいな変な開運フレーズは信じない。しかし、感謝を表にださない人に対して、人は自分が軽んじられると危惧して近づきたがらない、関係を持ちたがらないだろう。そのことで自分が人間関係から孤立し、「縁や運が逃げる」ということに繋がるのだろう。

では、まずは妻に感謝から・・・

2011年8月17日水曜日

不安をいなす

この週末は忙しかった。

子どもの所属するクラブの合宿に同伴した。
わずか二泊三日とはいえ、やっぱり大変ですね。
子どもは楽しかったみたいですよ。
が、それはおいといて。

合宿では、親もいろいろ考えさせられる。
クラブの指導者は私の親ほどの年齢なので、私の子育ての姿勢にもいろいろと気づくことがあるらしい。夜は大体大人の飲み会的になるのだが、私にとっては子育て講習会みたくなる。

それも、「なるほど、そうしよう!」となれば良いのだが、そうはならない。
なぜなら、tips的な話ではなく、親の価値観そのものが問題とされるから。

その中で気づいたのは、自分が多くの不安の中で生きている、ということ。
他の人は、どうなのだろう。

例えば、夜のバーベキューや花火。
ちゃんと焼けるか、小さい子に気を配れるか、に始まり、火傷しないか、いたずらしないか、事故はないかと心配になる。心配が高じて、子どもたちに注意をしたり、手を出したり、果ては怒ったりする。

それを見て「大丈夫、子どもは何でもできる。この中にいれば死ぬようなことはない。火傷くらい良いじゃない。」とアドバイスが出る。

他の人は不安じゃないのかな?事故は不意に起こるから事故。今まで起きなかったから今後も起きないという保証はない。大人の目が何百あったって、事故は起きるし、人は死ぬ。不安じゃないのか?

長男がまだ小さかった頃、大勢でキャンプに行った。長男は花火を持って走り、つこけて手に火傷を負った。20名近くの大人が周りにいたのに、私以外誰一人火傷に気づかず「こけたくらいで大泣きして、あらあら」と笑っている。そのときはとにかく冷やしたけど、結局後日化膿し、通院。「跡が残ったり指紋がなくなるなどの後遺症が残る可能性があるので、そこは覚悟してください」といわれる。

これは、火傷程度だからよかった。でも、私がたまたま子どものほうを見ていなかったら?、後一杯多くお酒を飲んでいたら?、命に関わるような事故だったら?
私にはたくさんの不安が湧いてくるが、多くの人は「火傷ですんだ。ラッキー」で終わるのか?

その感情が、今の過保護?に繋がっているのか。
不安をいなし、不安とうまくつき合い、子どもをのびのびと育てる。
自分の心理と結びついた部分なだけに、難しいなと感じる。
そうであっても、子どもの成長に関わることだけに改善しないといけないな。

2011年8月4日木曜日

博物館ボランティアの形

ちょっと思案中。


今の職場では、博物資料の整理の一部のお手伝いをボランティアさんにお願いしている。参加してくださる方は、地域のおじさんやおばさんと言った方で、定年退職後の時間をこちらの作業に裂いて頂いている。小さな作業や力仕事なども快く引き受けてくださり、うちの業務としてはとても助かっている。


では、何を思案中なのか。
最近、職場でボランティアの活動についての検討が始まり、私も博物館などの社会教育に関わる場所でのボランティアはどんな形であるべきかな、と考え始めた。


ちょっとネットで調べてみたが、小樽市の小樽市総合博物館のボランティアは良い形ではないのかと思った。
小樽市総合博物館ボランティアのページ。
http://www.city.otaru.hokkaido.jp/simin/sisetu/museum/museum_volunteer.html


このページに、2011年度のボランティアについての概要.pdfというファイルがおいてあり、概要が書いてあって、大変分かりやすい。


そのなかで同感したのが、Q&Aの項目の一部(以下、強調は私
Q:ボランティア活動に参加する利点は?
A:自分のための生涯学習と自己啓発が最大の利点です。さらに、社会活動に貢献しているという充実感を味わうこともできます。活動を通して多くの方々との出会いがあり、入館者の笑顔に迎えられることもあります。
掃除をしてもらう、標本を台紙に貼ってもらう、登録番号シールを貼ってもらう、そんな作業が「自分のための生涯学習と自己啓発」に繋がっているのか?自分で仕事をお願いしておきながら、疑問を持ち始めたワケ。


ただ、ボランティアさんの中には、「そんな作業が良い」という方が結構多いのも事実。そう言われる方は、「それでお役に立てれば」とも言ってくださる。こちらに多少疑問があっても、参加者が活動の意義を認め、参加の意欲をもてる活動であればそれでいいのかな?


ボランティアさんは、こちらの作業を手伝って頂いているけれども、やはり私どものお客様、社会教育の対象者なのではないか、と思う。だから、ただ「お手伝いして終り」ではなく、ボランティアさん自身がお手伝いの中で何かしら発見して楽しんでほしいし、ボランティアさんがいたおかげでこちらの活動がさらに発展する、という相乗効果をえたいと考えるのはムシがよすぎるだろうか?


ということで思案中。

2011年8月2日火曜日

失敗宣言

子どもが剣道を習っている。


小さなクラブなので週2回程度の稽古であるが、指導者の方は人を見る目が長けていて、子どもたちの心や体の状態にあわせて、いろいろな話をしてくださる。


先日の話の中で「失敗しても良い」というのがあった。今の子どもたちは学校や塾で正解を求められ、間違うことを極端に恐れているそうだ。


話を聞いていて考えた。確かにそんな気がする。わが子についても確かにそうだ。ただ、それは学校のせいではなく、私のせいだろう。私は、失敗が大嫌いだ。大嫌いというより恐ろしい。自分の居場所がなくなる気がする。そんな考えの親が育てた子どもが、失敗を恐れない子になるはずもない。天高く羽ばたいてほしいと名前に「天」の字を入れたが、実際には羽ばたけるように育てただろうか。いろいろ反省。


で、どうするか。まずは自分が失敗を恐れない人間になろう。小さい頃から「失敗しても良い」という言葉は何度も聞いていて、理解して行動してきたつもりだった。しかし、今振り返るとやはり「失敗はイヤ」。つまり何も理解できていない。そこで、これからの行動指針。つまり「失敗宣言」を記しておこう。

失敗宣言:失敗を恐れず行動して、失敗を積み重ね、最後には成功する。