2011年11月24日木曜日

里山利用の捉え方

少し前だが、鉄腕DASHを見てた。
マツタケのとれる里山に戻そうと頑張ってた。
http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2011/1030/01/01.html

キノコのことはあまり知らないので、マツタケの出る里山ってこんなものなのか、と興味深く視た。やっていた作業は、

  • 光が入るように広葉樹などの木を切る。
  • 地面の表面の落ち葉・腐葉土を取り除く。

など。なかなか大変そうな作業で、作業後の状態を以前は常に保っていたと考えると、「すごいな」と感心してしまう。

これみてて思ったこと。
テレビやwebでは「里山の整備」や「人が手をかける」と表現していたが、自分はちょっと捉え方が違うと感じた。

「広葉樹を切る」というのは、かつては焚き物、道具の材料、炭の材料等として利用するために行っていた行為で、結果として森に光が入り、マツタケの好む環境になったのではないか。
「地面の落ち葉を除く」というのも、かつてはその落ち葉を、焚き付けや畑の肥料に利用するという行為。その結果、地面の栄養分が減って痩せた土となり、マツタケの好む環境になったのではないか。
つまり、マツタケは、人間が日常生活や農業等のために利用できるものを可能な限り山から持ち出し、使って使って使い倒して、やせこけた環境にでるキノコなのだろう。

以前聞いた講演で、「里地里山は使い倒した環境」という言葉を聞いていたが、このマツタケの話をみてかなり納得した。

里地里山は、「人が手を入れ整備し続けた環境」ともいえるが、「人が限界まで使い倒したギリギリの環境」と捉えることもできる。