2014年4月12日土曜日

担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意(埼玉県)で思ったこと

twitterをつらつら眺めてたらこんな記事が
担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意
http://www.saitama-np.co.jp/news/2014/04/12/01.html
(以下引用)
 県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。 
 県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。 
 関根郁夫県教育長は11日に開いた県立高校の校長会で「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がった」と、この事実を報告した上で「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促した。 
 関係者によると、入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明。女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。 
 来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨。 
 県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としている。


 まあ、なんだかとても違和感があるので。記録代わりにやや毒舌で記しとく。

新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。

なぜ天秤にかける。「私と仕事、どっちが大事なの?」に似てるな。比べるなよ。先生だって一人の人間で、家族を持ち、その家族を養いあるいは育てる生活を送っている、というのは想像できないのだろうか。自分がわが子の入学式に出るのは当然、でも教員はダメ。わが子を育てることを、先生には認めないというのだろうか。
 これを天秤にかけて判断していいのは、当人だけじゃね?親という立場にありながら、同じ親の立場にもある先生に対し、自分の子は捨て、他人の子のために尽せ、と平気で言える感覚は、異常に感じる。
 自分に置き換えてみて想像してみると、どちらの判断をしても納得できるんでないかい?

「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促した。

この件で一番注意されるべきは、担任の決定などをした学校の執行部だと思う。何故高校一年の子がいる先生を高校一年の担任に就けたのか、と。間違っても、休みを許可した事に、ではない。
 そして注意を促した相手は校長だよね?学校の執行部だよね?高校一年の子どもがいる先生に高校一年の担任を任せるような、学年やクラスの運営上問題がありそうな状況をわざわざ作るなって、言ったんですよね?まさか当の教員相手に「お前の子の年齢などしらん、学校運営最優先」、「トラブルありそうだったら、自己犠牲でカバーしろ」と言うのつもりじゃないですよね?
 大体、もう高校生なんだから一日担任がおらんくらいで不安になるな。担任おらんでも副担おるから大丈夫。
 ていうかさー、このくらいの配慮はしてあった気がするんだけどなぁ(他県だけど)。連絡や情報交換がなされてなかったのかなぁ・・・

県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」

いやいや、これは職務案件の優先順位の話じゃないから。生活をして子どもを育ててる人間の人生上の話だからさ。それをごちゃ混ぜにして「教員としての優先順位」とか言っちゃったら、もうブ○ッ○企業とかわらんやん。ダイジョブか?ヤバい認識になってないか、不安だぞ。

来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨。

県議員ってさ、県民の投票によって選ばれ、県民一人一人の生活のために働く仕事なんでしょ?この教諭だって県民の一人じゃない。それなのに「教員なんだから自分の子をないがしろ」とも受け取れる言葉で一教員を攻撃するなんて、あまりほめられた行為ではないと思うぞ。県議員としての自覚や倫理観が欠如してんじゃない?ってブーメランが返ってくるよ。
 あと、管理責任って何?先生は事前に手続きしてて、何も悪い事してないでしょ?。わが子より学校行事を優先させることを強制できなかった責任か?
 それに、欠席理由を聞いたら普通の子は「しょうがない」と思うぞ(たぶん)。人それぞれに大切な家族があることを理解できてる歳だと思う。少なくとも自分が高校生くらいのときは、家族をほっぽる教師は信用してなかったな。むしろ軽んじてた気がする。逆に子どもや家族を大事にする先生に対しては、寂しいと思うこともあったけど、信頼できる人物としてうつってた覚えがある。
 

 最近毒はいてないので、吐いてみました。権力ある人に嫌がらせされるといけないので(隣県の某市長とかの例もあるしさ)謝っときます。ごめんね。

 思うに、いろいろな価値観が変わってきているんだよね。私の一回りか二回り上の教諭経験者と話すと、「子どもに何もしてやれなかった、行事も一切出なかった」、「でも伴侶や親戚、近所の人が助けてくれた」という話が出てくることが多い。教員はわが子よりも教え子を優先するのが当たり前だったし、それを親族や地域が支えることも当たり前だったのだろう。「家庭より仕事」、それが当時の優勢な価値観だったのだろう。
 今は、どうだろう。人の移動も大きくなって、いままで支えてくれた血縁関係や人間関係のある地域から離れて生活する人も増えているのではないか。それなのに、ワークライフバランスなどという言葉もあり「家庭も仕事も」やっていくのがいいという価値観に変わってきた。
 となると、組織は働く人の(今回の場合は、学校は先生の)ワークライフバランスが保てるよう配慮すべきではないか。今回はそこがうまく機能していなかったということではないだろうか。