2019年10月27日日曜日

科学絵本読み聞かせ「ツーティのうんちはどこいった?―ハナグマの森のものがたり」

 年に2回ほど回ってくる小学校での絵本読み聞かせ会。朝の朝礼後と一時間目の間の15分でおこなわれるPTAの行事の一つで、自分の子どものクラスに行けるようにお願いしている。
 今回は6年生のクラス。選んだ本はこちら



書名 ツーティのうんちはどこいった?―ハナグマの森のものがたり
著者 文・越智 典子 絵・松岡 達英
形式 大型本: 31ページ
出版 偕成社(2001年)

 ハナグマのツーティが、ある日、自分がしたうんちがどうなるか気になり、見張り、うんちを中心に生きる生き物たち(主に糞虫の仲間)に気づくというお話。うんちが題材ではあるが楽しいストーリーで、小学校低学年から高学年まではもちろん、いきものに興味があるなら大人でも楽しめる絵本だ。
 個人的に絵はすごく気に入っている。主人公やその兄弟たちの絵は、かわいらしい絵ではあるがかなり本物に忠実なようで、ネットで検索したハナグマの写真や動画に出てくるハナジロハナグマを良く表現している。背景に出てくる動植物については、さらに精度が上げてあり、図鑑かと思わせるほどの充実ぶり。これは絵を見るだけでも楽しい。

 ただ、これを選ぶにも少し気になる点はあった。それは、うんちが題材であること。まず、小学6年生という思春期の子たちに、果たして素直に受け入れられるか分からなかった。低学年だったら「うんちー!!」とはしゃぐんだろうけど。そして、朝一番の実施というのも気になった。朝っぱらからうんちの話し・・・朝からうんちをするのは基本的な生活習慣とされるけれども、神経質な子は嫌がるかも・・・
 とは考えつつ、まあいっか、えいやっ、と選んだ。

 結果、嫌がった子はいたかもしれないが、読み聞かせ会が困難になるようなことはなかった。絵本好きな子たちは、前に陣取り、クスクス笑いながら聞いてくれた。素直で楽しめる子たちで良かった・・・

 読み聞かせの後は、恒例の実物で体験。今回は、絵本で出てきた糞虫の仲間で、日本で採られた標本を持ち込んだ。昆虫標本を触るわけにはいかないし、うんち虫だしで、今回は見るだけ。



 絵本の舞台はハナグマが生息するアメリカ大陸の方で、ならばうんちにくる虫もアメリカだけなのか、いやそうではなくて日本にもいるという導入から始めた。小学校の裏手にある山にいる動物について質問し、いろんな動物を見たという体験談が出たところで、そのうんちを食べる虫もいるんだよ、と標本を見せた。
 さすがに絵本を見た後なので、うんちを食べてた虫だと分かっていて、遠巻きにする子がとても多かった・・・形や色の特徴なんかを話しながら見せて回っていたら少しずつ覗き込んでくれるようになった。まあ、確かにちょっと引くかもな。
 一応成功ということで、良いか。

 これらの標本は、自分で採ったものではなく職場にあったもの。簡易な貸し出し展示キットを作る話があり、そのプロトタイプ的な意味合いで(ということにして)動物担当に作ってもらった。解説文も以前の動物担当がつくったミニ展示を流用している。うまいこと軌道に乗ると良いのだが。

 この絵本はシリーズ物の2作目で、1作目はこちら。


書名 ツーティのちいさなぼうけん―ハナグマの森のものがたり
著者 文・越智 典子 絵・松岡 達英
形式 大型本: 31ページ
出版 偕成社(1999年)


子ハナグマのハラハラする冒険もので、ハナグマの習性も分かってくる。そして、絵の書き込みがすごく、こちらも図鑑のよう。家で息子相手に読んだときは、その後で生き物の絵探し・鑑賞会となったほど。

 糞虫はその見た目と生活の面白さ、無視しがちであるが身近なうんちに関することであることから、生き物屋界隈ではよく取りあげられる題材で、本も出ている。

この本は勉強に使った。


 これは絵本でとても良い本だけど、直接的な写真なので今回の読み聞かせには使わなかった。ほんとうに迷ったけどやめた。


 あと、糞虫といえばフンコロガシ(スカラベ)、といえばファーブル昆虫記。
 個人的に読みやすかったのはこれ。


 ファーブル昆虫記っていろんな訳本が出てるんだなぁ。Amazonで検索するとわらわら出てくる。





2019年10月24日木曜日

どうして勉強しないといけないの?—考え中。

「どうして勉強しないといけないの?」

 子育て中だし、中高生と接することもままあるので、たびたび聞くし、なんとなくいつも考えているテーマ。ネットを検索すればいろいろな意見が引っかかってくるし、それらを読むといろいろまた考えてしまう。かといって良い答えを出しているわけではないが。そこで、調べたこと、思いついたことをちょっとメモ。

答え1「勉強したことは役に立つ」

まず考えてしまうのは、「習ったことはこういうことに役立つよ」というような、実際に有用だからという感じの、即物的というか、目的論的というような答え。
 学研の子ども向けサイトは、低年齢を対象としているのか、そんな感じ。

どうして勉強しなければいけないの|Gakkenキッズネット
https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0549/

答え2「勉強した経験が役に立つ」

「習った事が役に立つ」から発展して、勉強で覚えた知識そのものではなくて、その過程で得た考え方や理論、あるいは頑張ったり失敗したりした経験が将来役に立つ、という答え。
 
●学校で勉強する意味|なぜ将来役に立たないことも勉強するのか
https://torebook.jp/seityou4.html

●東京大学名誉教授はこう答える! 子どもに「どうして勉強しないといけないの?」と聞かれたら|STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ
https://kodomo-manabi-labo.net/why-study

 読んでみると、なるほどなぁと結構同意できるし、こういう風に話したら伝わるのかも、という気がする。

答え3「社会のため?」

これまでの答えは、「子ども自身に対してどんな意味があるか」という答えだった。それだけではない感じの答えが下記のもの。

●「なんで勉強しなきゃいけないの?」と子供に聞かれたら、こう答えよ(瀧本哲史)|現代ビジネス 講談社
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49003?page=2

 大人向けのサイトみたいだけど、記事は子ども向けで、非常に読みやすく、伝わりやすい。読んでて非常に面白く、また共感した。
 ぜひ読んで欲しいのだが、「学ぶことで未来が変わるよ」というようなことを言っている。ここでいう未来は、学習者個人の未来でもあるが、人間社会の未来とも受け取れる。そんな答えだ。

 なんでそんなに共感したかというと、最近、何となく似ていることを考えていたから。どのようなことを考えていたか・・・
 たとえば、本当にあり得ないけど、何かの弾みで、縄文時代の生まれたばかりの子どもが現代へきてしまったとする。その子が現代社会で普通に育てられたらどんな人間になるだろうか。
 縄文時代の人も現代の人も、ともにヒト(Homo sapiens)という同じ種だし、生物が数千年かそこらで劇的に進化するともあまり考えられない。なので、おそらく、その縄文時代の子どもは、現代人と何ら変わらない人に育つ気がする。現代の言葉を話し、コンビニで買い物し、スマホでコミュニケーションをとり、ゲームであそぶ。
 となると縄文時代のヒトと現代のヒトの違いは、「文化」しかないことになる。ヒトが学び(勉強)を辞めたら、これまで積み重ねてきた知識・経験が忘れられ、文化が消え去ってしまうのではないか。文化を失った現代人はどのようにして生き残れるのか。ここに「勉強しないといけない理由」があるかもしれないと思った。しかし、これは「今の便利な生活や社会の維持、発展のための勉強」というずいぶん後ろ向きな答えに行き着くことになった。これはとても子どもに伝えられない。そもそも社会のために人がいるわけではないのだし。ちょっと失敗したな、という感じの考えだ。
 しかし、この個人の勉強と社会の関係を、上記の瀧本さんの記事は「未来を変える」という超ポジティブフレーズで表現している。しかも、自分がひらいた未来で、世界の未来が変わるというもの。人の営みで社会が作られている点がきちんと伝わってくる。
 たしかに、そうだよね。


2019年10月13日日曜日

ゾウの一頭飼いは良くないらしい。

さて、最近たびたび訪れる大牟田市動物園

 個々にはゾウがいない。数年前に飼育していたゾウが亡くなってから、飼わない方針にしたそうだ。

理由としては、
 ゾウは社会性の動物であり、社会(群れ)から離して1頭だけで飼育することだけでもゾウにとってはストレスであり、動物福祉の観点からそういったことはできない、ということらしい。
 他にも、段々減少しつつある分類群であることや、金銭的な問題もあろうが、素晴らしい決断である。
 先日、まさにこのことに関するニュースを見た。同じこと言っている。

ゾウ1頭飼育は「福祉に反する」 警鐘に動物園どうする|朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASM8B5S41M8BUUHB00V.html

しかし、こういったことをいち早く判断して取り入れられるって、やはり、職員の専門性が高く、最新の情報を常に収拾しているからなのだろうな、と思う。

「大牟田市動物園 ゾウはいません」などで検索すると、いろいろ記事が出てくる。興味深く読んだ。

“動物の幸せ”が集客に:「ゾウはいません」と掲げる動物園が、閉園危機から復活できた理由|稼ぐ戦略 by ITmediaビジネスONLiNE

【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(1)「福祉を伝える」出勤はモルモット任せ|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(2) 環境エンリッチメント(上) 狭くとも選択肢増やす|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(3) 環境エンリッチメント(下) マンドリルに初の砂場|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(4) ハズバンダリートレーニング(上) キリン採血 成功までに|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(5) ハズバンダリートレーニング(中) 1日5分の訓練を重ね|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(6) ハズバンダリートレーニング(下) 改善策はみんなで議論|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(7) 手作り説明板 人の関心が保護に弾み|西日本新聞
【動物を幸せに~大牟田動物園の挑戦】(番外編) NPO法人「市民ZOOネットワーク」代表理事 佐渡友陽一さんインタビュー|西日本新聞

個性派動物園で考える"動物と人の幸せな未来"|西部ガスグループ

動物園が変わってきている!?

 今年3月に大牟田市動物園で開催された屠体給餌のシンポジウムを見に行って以来、動物園って面白いな、と思うようになった。そのためか、動物園に関する情報が目につくようになった。何となくアンテナを張ってるような状態なのだろう。その中で、最近、驚いたニュースがこれ。(前読んだときは全部読めたんだけど、今は有料記事になっている。)

問われる、そのあり方 動物園、実は役に立っていない?─研究によると「生きた動物を見ることは教育に良いわけでもない」|Courrier
https://courrier.jp/news/archives/173204/?ate_cookie=1570887163

 学習効果が低い、社会教育の役に立っていない、動物の保護に役立っていないなど、ものすごく動物園を否定しているが、根拠もきちんと示せていない。なんなのかなぁと思っていたらtwitterで、これが元記事じゃないか?というツイートが流れてきた。ちょっと保存してなくてどなたのツイートか分かんなくなっちゃったんだけど、情報収集能力すごいなぁ。
 で、その元記事らしいのはこれ。

Should zoos exist?|FastCompany
https://www.fastcompany.com/90365343/should-zoos-exist

 直訳すると「動物園は存在すべきか」なのだろうか。かなり攻めてる題名な気がする。英語は苦手だが、とにかく頑張って読んでみたところ、いろいろ面白かった。
 まず、日本の記事で揚げてあった動物園への否定的な意見と似たようなことが述べられていた。が、驚いたのはその個々について、その主張の根拠となる研究論文へのリンクがあり、その研究がどのような問題意識から、どのような調査研究をし、どんな結果が出たからこう主張するんです、というのがちゃんと書かれていた。
 これを見て、日本遅れているよ、と本気で思った。見出しだけ、結論だけで知った気になってていい時代じゃないよ、と。記事書く方も、強気で読者を攻めにゃあ。

 結局、記事の内容はかなり動物園を否定するものだったが、それも、書いている人がおそらく動物福祉の方にかなり軸足を置いているからだろうと読み取れた。平たい言い方をすると、娯楽とか、楽しみとか、教養とか、学習とかの人間の都合で動物を振り回したら良くないよ、しっかり守っていこう、という考えに立脚しているようで、そうならば動物園を否定するのも分かるというもの。

 かといって同意できるものはななく、個人的には「動物園は必要だよ」と思う。なぜなら、動物を守らなきゃと思う人、あるいは記事内で充実を提唱しているサンクチュアリで保護事業にあたる人は、そこに至るまでのどこかで、動物を大切に考えるようになるきっかけとなった(なる)出来事・経験を経ているはずで、この出来事・経験の場を提供するのが動物園の役割だと思うからである。さらに動物園によって、より多くの人が動物に親しみを持つことは、動物保護や動物福祉に理解を示す人々が増え、社会がこれらの考えに価値を認めることに繋がる。
 動物園は、「裾野を拡げる」という重要な役割を持っていると思う。