今朝気づいたニュース
「保全へ生息地移転 県レッドデータ・ハッチョウトンボ 那須烏山」
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20110618/544303
下野新聞2011年6月19日
今回の震災で被害を被った学校給食センターの移転新築に際して、「建設予定地がハッチョウトンボの生息地だったので、捕まえて別のところに放して保全しますよー」ということらしい。
震災に関することなので、なんだか批判しにくいのだけど、そこはおいとく。食い物にもならない虫と子どもの生活、どっちが大事なんだよ!という批判は無しで。まずは保全の仕方について。
で、とりあえず、これは「保全」か?なんだか違和感あるなー。
生物の保全の方法については、生物種一つひとつを個別に守るのではなく、その生き物が生き延びる足場となる環境をワンセットで守るために生育・生息地全体を保全する、というのが最近の考え方だと思っていたのだが、これはいきなり環境から切り離しているなぁ。
ハッチョウトンボは栃木県のレッドデータでは絶滅危惧ではなく要注目種になっている(http://www.pref.tochigi.lg.jp/shizen/sonota/rdb/detail/18/0295.html)ことも、生息地自体を保全する必要はなし、という判断をくだした理由かなぁ。
関わった人のコメントに「かつていたような場所に」、「子どもの教育に役立てられれば」ということも書かれているが、なんだかそれにも違和感。
「かつていたような場所に定着させたい」というのは、保全の方策としてはありと思うけど、かなり最終手段的な方法ではないのか。復活の見通しが立たないとか、元の生息地がすでに壊滅的だとか、飼育・栽培の個体しか残っていないとかいう場合の方法じゃないかな。
「子どもの教育に」って何に役立つのか。「人間がなんかするのに邪魔だったけど、慈悲の心で他に移してあげたよ」と思わせるのは教育的に良いことか?記事の写真には子どもがトンボを捕っている様子が写っているが、子どもは関わらせるべきではなかったのではなかろうか。
話ははじめに戻るが、結局、虫と人の生活どちらが大事かという問題。栃木の被害がどの程度か知らないが(県のホームページ
http://www.pref.tochigi.lg.jp/kinkyu/higaihinan.html
を見てみた。栃木はそこまで壊滅的ではないんだな。よかったよかった)、子どもたちが安心して生活できるよう整備するのは大事なことだと思う。ただ、ここ湿地でしょ?ハッチョウトンボいるし。そんなところに建てるの?地震後大騒ぎしていた液状化とか問題じゃないのかな。
思うのは、これが保全のモデルケースにならないで欲しいということ。震災を前にして緊急避難的に行われたものである、という認識が必要だと思う。