捕鯨は日本の文化だ!、イヤそうじゃない!みたいな論争があるみたい。
「日本の文化ではない」論のひとつに、「限られた地域の文化(風習)にすぎない」というのをよく聞く。なんか違和感。近所のスーパーや魚屋にはクジラの刺身とかよく置いてあるし、それがなくともオバイケは常備、という感じ。それは、日本の文化ではないわけか。なにか「日本の文化」という枠があって、それからはみ出すものは日本の文化ではない、という考え方かな。日本語は標準語のみ、方言はなくなるべき、みたいな感じかな。
文化って時代や地域による多様性があるもので、そこに価値と面白さがあるとおもうよ。
秘密のケンミンSHOWなんて、まさにその面白さを取り上げたものでしょう。地域に限られたものだから日本の文化の範疇に入れるな、的な態度はどうかなー?
もうひとつは、『伝統』文化ではない、というもの。一度途絶えたとか、近代捕鯨だとかあるし、漁具や漁法の技術は継承されていないかもしれないし。だから、「伝統」という意味では確かに薄くなっているのかも知れない。ただ、「連綿と続く由緒正しい伝統」とは言えない部分をもって、「日本の文化ではない」としている空気もある気がする。
歴史あるものだけが文化なのかな。今の文化は大事にしなくていいのかな。今という時間は、まさに文化を作っている瞬間。クジラをとり、クジラを食べ、そのことを生活の一部とする社会がある限り、それは文化であって、これから伝統を作っていくのではないかな。
つまり捕鯨は、日本の文化の一部だと思う。
「日本の文化」といったとき、いったい何を指すんでしょうね。